「レコード芸術」 <準特選> 2010年11月号

濱田滋郎

 じつはこの2枚組ディスクには、演奏された楽曲は全部で1時間足らずしか入っていない。すなわちCD1にはモーツァルトの《ソナタ》第11番イ長調K.331(《トルコ行進曲付き》)、CD2にはシューベルトの《即興曲集》作品90,D899が入っているだけ。ただし、残りの余白を埋めているのは、演奏者でもある室井摩耶子女史その人の声なのだから、ぜひ、耳を傾けねばならない。CDのタイトルは“演奏の秘密〜聴けば納得!”というもので、一聴さりげなく流れ出て消えてゆく音楽のうちに、どれほど細心な演奏上の注意、心がけが含まれているものか……すなわち音楽を真に理に叶った、美しいものとするにはどれだけの知恵が、「たしなみ」が必要かを、女史が自ら“秘密を明かすように”説いて聞かせてくれる、という企画なのである。まずは「89歳になります」と自己紹介のご挨拶をなさるお声のお若いこと。まことに失礼な言い方ながら、音楽理論上のかなりむずかしい(はずの)ことも含め、誰にでも納得できるような口調で語られるトークは終始論旨明快。あらためて「老い」とは縁のない方なのだと敬服した。

 モーツァルトとこの《ソナタ》については第1楽章の変奏を中心に約22分ほど話されるのだが、まず主題について、実際にピアノを弾いて示しながら、「最初の3つの音(8分音符3個)」でスラーがかかっているのは始めの2つだけ、残るひとつは次の音に働きかけ、それを導き出すための音、といったふうに、フレージングの極意について語られる。そのほか、伴奏のリズム音型や終止符の意味について、ふだん解っているようでも言われてやっとなるほど、と思うような音楽づくりの大切な基本を、やさしく教えてくださる。あちこちにユーモアもまじえて、聴きてはつい微笑みながら、「これはひとつ覚えた、利口になれた」と思うに違いない。

 シューベルトについても同じことで、《即興曲》第1番の最初の和音にフェルマータが付いていることの意味から始めて、シューベルトがあるフレーズ(または音型)から次のフレーズ(同じく)を生み出す手際の天才的な巧みさに関してなど、含蓄尽きないお話がつづく。いけない、共に全曲弾き通されているモーツァルト、シューベルトの名曲を、女史がいかに演奏されるかを余白が尽きてしまった。要するにお話を聴けばさらに滋味深い名演である……。

 

那須田務

 生涯現役ピアニスト、室井摩耶子は今年89歳。今もなお、積極的なコンサート活動を続けておられる。室井は1995年からトークを多めに加えた「トーク&コンサート、シリーズ」を開始し、様々なテーマでコンサートを行い、ライヴ録音されてCD化されている。筆者も出かけたことがあるが、中身が濃くて軽妙な語り口の話についつい引き込まれ、デモンストレーション演奏のすばらしさに感動したことがある。音楽を学ぶ若い人やピアノのレスナーはもとより、一般の愛好家にもお勧めしたい。

 今回のディスクはこれまでと少々趣向を変えて2枚組、演奏はライヴだが、(今年の5月8日、Hakuju Hall)、トークは別の機会の録音(三鷹市芸術文化センター・風のホール)である。そのためか、いつもよりトークの内容がずっと練り上げられていて完成度が高く、明確にレクチャーCDが意図されている。「私は1956年にモーツァルトの生誕200年の世界の会議に日本代表としてウィーンに行きました。開会式にベームとウィーン・フィルでモーツァルトの交響曲40番を聴きました。モーツァルト開眼ですね。」で始まるモーツァルト編(K331)は、冒頭のエピソードからピアニストの辿ってきたキャリアの厚みと歴史を感じさせる。しかし、話題はアーティキュレーションに留意して語る音楽をというように、伝統に寄りかかることなく、絶えず自らの音楽を進化させている女史の姿勢が伺えて頭が下がる思いがする。そして各楽章を演奏技術的な事柄も交えながら解説していく。その内容は具体的かつ本質的だ。ただ、後半のライヴはわずかにピアノのメカの雑音がすることと、特に第1番はシューベルトの頻繁に交代する微妙な和音の弾き分けがもう一つである。おそらく暗譜に起因するものと思われるが、なんといってもその御年である。奇跡といえるかもしれない。「音楽は音で書いた詩であり、小説であり、戯曲である。いつもセリフを喋って話を進ませていっています」、「その“話”は美しくて深くて人間の面白さと複雑さとに満ちているが、いつも作曲家と対話し続け、これだけ長い間ピアノを弾いてきても、絶えず発見することがある」等、心に残る名言が満載だ。

 

 

「音楽現代」 2010年11月号

萩谷由喜子

 1921年生まれの室井摩耶子先生は今も現役活動を継続され、長年の経験に裏打ちされた説得力抜群のトークと、実際に語りかけてくるかのような演奏で聴き手を魅了している。その音楽の力はじわじわと共感の輪を広げ、去る5月8日のリサイタルは満員御礼、札止めの事態となった。辛うじて席にありついて聴いたが、いつもながら音楽の本質を捉えたトークは胸に残り、アンコールと二度にわたって弾いてくださった『トルコ行進曲』は、なるほど、かくありき、とおもわせるものがあった。その日のライヴと、別セッションでとったシューベルトの即興曲の2枚組アルバムの登場。演奏のポイントも語られているので、聴く人にも弾く人にも参考になる。

 

 

月刊「ショパン」 2010年11月号

壱岐邦雄

 1枚目にモーツァルトのトークと演奏、2枚目にシューベルトのトークと演奏を収録してある。演奏部分は室井摩耶子が89歳の誕生日を迎えた直後の2010年5月8日に白寿ホールでおこなったトークコンサートのライブだが、トークの部分はこの後に三鷹市芸術文化センター風のホールで収録したもの。彼女の語り口と同様に、温かくマイルドな音色でモーツァルトとシューベルトのチャームをわかりやすく説き語り、その音楽を慈しみ、肌理濃やかに奏でる。とくにモーツァルトのア・ラ・トゥルカを優雅に響かせ、シューベルトの即興曲第2番をなめらかなレガートでノンブレスで歌い綴るあたりは、まさに<超ベテランピアニスト>室井摩耶子の到達した、至高の境地を示して感銘深い。