婦人公論 2月号 CD紹介記事

文◎伊熊よし子

室井摩耶子 壮大な音の殿堂“バッハの真髄” ZMM0811

室井摩耶子 《月光の曲》ライヴ ZMM0601 

 アーティストは、みな自分の楽器を愛し、音楽を愛し、一歩でも上を目指そうと日々努力し、生涯にわたって勉強を続けていく。その一途な姿勢に常に触発され、元気を与えてもらい、演奏を聴いて深い感動を得るわけだが、「生涯現役のピアニスト」として知られる室井摩耶子からは、抱えきれないほどの力をもらっている。

 彼女はいつもおだやかな笑みを絶やさず、前向きで、何でも自分でこなす。インタビューの最中にお茶を淹れてくれるのも、パソコンでブログを書くのも、部屋を片付けるのも、すべてひとりでさっさと行う。一日に8時間も練習し、疲れると庭で花の手入れをし、また楽譜と向き合う。

 「バッハもベートーヴェンもモーツァルトも、本当に作曲家がいいたかったことを譜面から読み取って演奏するのは至難の業。音符や休符のひとつひとつに心を砕き、ある音から次の音に移るときまで配慮をしなくてはならない。音は生きているの。音符のニュアンスを大切に、自然にスウィングするように弾かなくては。聴いている人に語りかけるように、歌うように、こまやかな配慮をもって奏でる。ただ平面的な音にならないように、次の言葉を期待させるようにもっていくことが大切だと思う。それを練習で培っていくの」

 室井摩耶子は1921(大正10)年生まれ。東京、ウィーン、ベルリンで学び、64年にはドイツで出版された『世界の150人ピアニスト』でも紹介される。留学前はサティ、デュカスなどフランスの近・現代作品の日本初演を行ったが、帰国後はドイツ・オーストリア作品を中心にリサイタルで活躍。95年から始めた「音楽を聴きたいって何なの?」と題した「トーク&コンサート・シリーズ」はすでに19回を数え、長年の演奏活動は新聞、雑誌、テレビでも多数紹介されている。

 「この年まで元気にピアノを弾くことができるのが天から授けられた才能だとしたら、それを生かしてひとりでも多くの人に喜んでもらえるような演奏をするのが私の使命だと思っています。もう80年もピアノを弾いているのに、いまも練習のたびに新しい発見があるんですよ。いまになって、ようやく<バッハの楽譜のある部分をこう弾くべきだとわかるときがある。本当に遅いわねえ(笑)。でも、その発見があるからこそ、また弾きたくなるの」

 彼女のひとことひとことが胸に染み込み、ああ、自分ももっと頑張らなくちゃという思いに駆られる。ただし、室井摩耶子は決して無理をしたり、気負ったりはしない。ごく自然体。本当にやりたいことをしているだけ。自分が与えられた才能を生かすために日々精進し、神に感謝し、愛する音楽と対峙する。なんと清々しく凛とした潔い人生だろうか。「2009年は米寿を迎えるから、それを記念して6月28日に東京の白寿ホールでリサイタルを行います。いつもライヴ録音しているから、また気を引き締めて頑張らなくちゃ!」

 これまでトーク&コンサートを収録したCDはいずれも高い評価を得ている。とりわけベートーヴェンのソナタ<月光の曲>を演奏したものは、淡々とした静謐な音の運びのなかに詩的な味わいが潜み、心に響く。さらに昨年のバッハの録音も、長年弾き込んだ熟成した音楽が作品の偉大さを伝えている。「バッハは確固たる音の原理に基づき、形式を重視し、すばらしく情感豊かな音楽を作り上げた人。それが子どものころにはわからなかったけど、いまになってバッハの作品の血となり肉となるものに少し近づくことが出来るようになったの。こうなると楽しくてたまらないのよね。ピアノから離れられないわ」

 音楽に恋し、生涯を捧げえる。まさに彼女の人生は音楽への愛であふれている。だからだろうか、音楽の話をするときの目は輝き、夢見るような表情をする。室井摩耶子は、生きるとは何かを教えてくれるピアニストだ。

 

 

 


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