「あなたにとどけまやこのしらべよ」

 

 二〇一四年十二月二十一日、曇天の上野駅公園口を出ると、ざわざわと纏まりのない足取りで、老若男女が横断歩道の向こう側へ渡ってゆく。

 東京文化会館ホールでは、バレエの舞台とピアノコンサートが隣合ったホールで催されるらしい。先に開演なのだろう、バレエを習っているのが誇らしげな小学生やその父兄、あるいはバレエ団の関係者でトイレの前に長蛇の列が出来、狭い通路の手すりをバーに見立ててか、子どもが高々と脚を上げ、ポーズを作ったりチュチュ風のスカートをひらひらさせてアピールをする。

それを横目に見ながら、わたしたちは待っている。係員の紺色のスーツが、乱れそうになる行列を、何度も「二列にお並び下さい」とたしなめにやって来る。

腕時計の文字盤は幾度見ても進んでいない。開場まで三十分足らずだったはずだが、

愉しみを「待つ」のはこんなに待ち遠しくて鼓動が速くなるものだったろうか。

 

          *

 

 行列の先頭が少しざわめいた。開場だ。小ホールまでの緩やかなアプローチを気持ちが先にどんどん上がって行く。が、何事もないような顔で、ずっと握っていたチケットを誇らしく差し出す。

(今日のわたしはプライベートではない、まずは教わった通りに挨拶をしなくては!まずゼール音楽事務所の社長、そして河合の志風氏、ここでゆだねられれば室井先生にと用意したお菓子も渡したい・・・・・)

 ホールに我先にと足早に過ぎてゆく観客たちと逆に、スタッフのカウンターを目指し、

女性スタッフに社長について尋ねると、すぐ斜め前におられた。ギリギリで間に合わせた名刺を差し出しながらフライヤーの文章を書かせて頂いたこと、招待客としてチケットを頂戴したことのお礼を言う。

(ひとつミッションクリア!)

と、社長の隣の男性からも声をかけられ、彼が志風氏だと分かる。

「いやあ、良いのを書いて頂いてありがとうございました。」

「あー、今日名刺もってないけれど、このアドレスに連絡すれば分かるよね?」

「山岸さんは屋根から落ちたんだって?大怪我らしいよ。」

矢継ぎ早に、けれどにこにこと笑って言ってくれた。

(二つ目のミッションもハイスコアでクリア!)

 そうして

「ごゆっくり楽しんでいってください。」

の台詞に背中を叩かれ、ホールの席を目指した。

 意外にも舞台右側がかなり空いている。

(なるほど、室井先生の鍵盤上の手が見たいというわけか・・・・・)

(わたしは、なるべく近くで先生のご様子を感じて、ペダルをどういう風に踏むのか、何よりピアノの音がリアルに聞こえる場所が良い)

そんな席決めをした。

 

          *

 

観客の会話が四方から耳に届く。一様に先生の体調を気にし、不思議と今日のプログラムより、来年も聴きたい、と口々にのたまっているようだ。わたしも同感だ。

 客席の照明が落とされた。囁くようなアナウンスが流れきると、満面の笑みで「ピアニスト 室井摩耶子氏」が現れる。金いろのフラットなロングドレスが、いっそう笑みを輝かせる。

 マイクをもどかしそうに持ったり置いたりしながら、室井氏の『アノのレッスン』

或いは『曲紹介』の会話と、時折

「例えばね・・・・・」

「こんな風に勢いよく叩いてしまうと・・・・・」

と弾くピアノの一小節が、子ども時代のピアノのレッスン、当時のやみくもな叩き方を言い当てられたようで、わたしは懐かしかったり、ばつが悪かったりしながら耳を傾けている。

「わたくしはね、ピアノが大好きなの。だからね、終わったりしないのよ。」

そんな室井氏の醸し出す雰囲気に安堵したりもする。恐らく、この場に居る誰もが

あと何十回でもこうして彼女の与えてくれる天使の時間を味わいたいのだと思う。

 

          *

 

 そうして、唐突にプログラムの曲に入り、瞬きをする暇もないまま前半のハイドンが終わった。魂を持っていかれたままに、え、終わったの、という間もなく

「少し休憩を頂戴しますね。わたくしがおしゃべりをしすぎると、マネージャーに叱られてしまうの。」

室井氏が舞台の裏へ消える。

十五分足らずの休憩を挟み、金いろのドレスが再びひらひらと現れた。少し我に返った聴衆が、拍手を捧げると、にこりとして後半のプログラム、ベートーヴェンが流れ始めた。フォルテシモの力強さもスケルツォの華やぎも決して彼女の年齢を想像はさせない。

幾度か転んだ指。これこそ血の通ったライヴだと、むしろそれを幸運に思わせる何か。

音符と記号に塗れた楽譜を正確に再現するのが素晴らしいのではない。誰がどういうこころを以て鍵盤に触れるかが感動を呼ぶのだ、と認識を新たにする。

「音楽の文法を、わたしは音楽の文法を長い間に知ったから、こうして弾くのですよ。」

ああ、言葉にするとそういうことなのだ。

だからこんなにも胸を掴まれるのだ。人間性、というひとことでは片付かないが、ここで弾いている彼女がこの世に生まれてからの何もかもがこの旋律なのだ。

 (いのちの音・・・・・?)

「フェルマータのように、ながーくおやすみをするときは、次の音が早く早くう、ってもう出たくて仕方がないんですよ。」

「音楽はね、流れているの、止まってはいけないんです。」

「次の音が待っていますからね、弾いてあげないと・・・・・。」

(音楽がそういうものだと知らなかった気がする)

だからこんなに、血流のように留まることなく流れるのか。そうして、聴衆はいわば流れてくる音の群れを一気に抱くことが出来る贅沢を知っていると。

 

          *

 

 ラストの曲が止んだ。場内を聴衆の拍手が揺るがす。果たしてアンコールに応えて下さるのか?

!!!!!!!!!!!!!!!

 さっきまでより一層穏やかな、そして優美な金いろが揺れ、彼女に告げられたアンコールの曲名を聞いて、とんでもないサプライズに歓声が湧く。

 『エリーゼのために』

 いつものように、ピアノのレッスンの語りのあと、おもむろにあの、あまりにも有名な、告白のような旋律が流れ始めた。

 けれど、こんな『エリーゼ』は今まで誰も聴いていないはずだ。

楽譜を暗譜しているひとが無数にいるくらいだというのに・・・・・。

 ああ、確かに次の音が待っている。だから待たせないように、黙っていても繋がっている時間のように。

 最初から最後の音まで、すべてが繋ぎ目なく、まるで虹のひとすじだ。

「音楽が聴きたいって、なんなの?」

この演奏会の最大のテーマの答えを、この場に居合わせた誰もが同時に理解した瞬間が訪れた。

 

赤ちゃんの頭を撫でるようにね

たたいてはだめ 寄り添いましょ                 (了)