50年前の1956年、モーツァルト「生誕200年祭」

を彷彿とさせる

貴重なCDライナーノート(執筆 室井摩耶子)

 

「私のワルター体験」――  一度かぎりの… 

                室井摩耶子

 

 一枚のレコードが私の眼の前におかれた。突然、私の心のなかに洪水のように溢れ出してくるのは、滅法明るい爽やかな太陽、道にしきつめられた敷石の凸凹、石壁のひんやりした冷たさ、厚く生い茂った街路樹の緑、そしてこの光景とないまぜになった音楽……音楽……音楽…………。モーツァルト生誕200年祭の時のウィーンの街の思い出である。その思い出のなかでも、胸のうずくような印象で浮び上ってくるのが、ブルーノ・ワルターの指揮したモーツァルトの「レクイエム」。今その音楽――その日の、あの演奏のレコードが、私の前に差し出されたのである。私は一瞬、呆然としてしまった。あの日の? あのときの?…………。 

 それはもう15年以上も前のウィーンでの事である。(注:執筆掲載は1975年発売のLPレコード)

私が殆ど何にも知らないといった状態で、初めて外国の地を踏んだ時、私はモーツァルト生誕200年祭というものすごい音楽のルツボの中に直行し、その渦中にとびこんでしまったのである。

 イルミネーションのついた市庁前の広場で、夜開会式(あるいは前夜祭だったろうか)が行なわれ、私は薄地の洋服を通して伝わってくる夜の冷気にふるえながら、その波うつウィンナ・ワルツに耳を傾けたのだった。そしてそれから、私はユネスコ派遣の日本代表などという仕事をもって、毎日会議だの講演だのレセプションだのと、ウィーンの街を、こちらの会場からあちらの会場へと走り歩く日が始まった。

 音楽会は、ムジークフェラインザール(音楽楽友協会の大ホール)でのウィーン・フィルとベーム、それからデラ・カーサ、そしてオール・モーツァルト・プロのコンサートで、フェストの幕は切っておとされ、モーツァルトのピアノ・コンツェルトをひく、クララ・ハスキルや、ロベール・カザドジュ、ベーゼンドルファーのやさしいピアノで見事なパリッとしたベートーヴェンの協奏曲をきかせたバックハウス、そしてルドーテン・ザールの室内オペラ、オペラハウスではミラノのスカラ座引越し興行でカラヤン指揮、カラスがルチアの「ルチア狂乱」をやっているといった調子である。とにかく狂気のように音楽に浸りつづけた毎日だった。

 そしてその中でもっともすさまじい一日が、このブルーノ・ワルターの音楽会に行った日だったのである。

 この日、ひる間はマチネーでワルター指揮、ウィーン・フィル、そしてウィーン楽友協会合唱団(このコーラスはつい最近ベルリン・フィルの定期に招かれ、ハイドンの「天地創造」をカラヤンの指揮で2時間半に渡り休憩なしで歌いまくり、ヨーロッパでもっとも格の高いコーラスのひとつの名をほしいままにした)、そしてウィルマ・リップをはじめとするすばらしいソリスト達で、モーツァルトの交響曲と「レクイエム」。夜はムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー、ソロは当時脂ののり切っていたオイストラフがショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲を弾くという、ものすごい2つの音楽会が並んでいたのだった。ウィーンの街で、ウィーン・フィルやベームの音楽で私はモーツァルトに憑かれてしまっていた。この日も私はいそいそと、モーツァルトの音楽をきく楽しさを思い、ローヂェに座りこんだ。そして人の熱気でしずかにまわる大シャンデリアのかすかなうごきをいつものように眺めていた。

 小柄でひよわな感じの老人がステージに現われた。彼は当時すでに80歳だったらしい。彼の足許は痛々しい程おぼつかなく、これで一体どうなるんだろうと思われるようだった。漸く指揮台まで辿りついたといった風のワルターだった。しかし一旦棒をふり出すと、もはや老人ではなかった。その出だしの張りのある艶やかな音、生々とした美しさ、私はびっくりした。それは今でも耳に響いてくる程のショックを私に与えたのだった。しかし、彼が私のなかで神様のようになったのは、モーツァルトの「レクイエム」だった。

 それはまるで精製された、青光りのする鋼のようにしなやかではりにみちたものだった。間にゆるみというものがない。聴いていても、息をする余裕もなく胸苦しくなるような緊張が、長い長いボーゲン(弧線)をひいて終わりまで続くのである。人をひきずりこんでやまないのである。それは「モーツァルトの音楽」という事に対する既成概念、あるいはそれまでいくつもきいた名演から得ているモーツァルトの姿とは全く違っていた。そこには生命と対決しているようなすさまじさがあった。一体あの老人のどこにこのようなエネルギーがひそんでいるのであろう。私はただ呆然と拍手することも忘れて、波が押しよせるような拍手に応えて、何回もそのたどたどしい足許で舞台を往復するのを眺めていた。

 これが、私の「1度かぎりの……」ワルターとの出会いであった。しかし、この時以来、ワルターは私のなかに異常なくらい――そう、まるで神様のようなすがたでのこってしまったのである。

 その頃、私はまだひとつの偉大なパーソナリティというものの重大さを、今ほど身にしみて感じていなかった。名指揮者○○、名演奏家××などという呼名は、いうなれば右の耳から左の耳へ滑っていくような、心地のよい呼名にすぎない。その実体を人の心に訴えかけてくるようなものではない。もしあの時、私がそれを知っていたら、このすぐ消えてしまうかも知れなかった指揮者を聴ける凡ゆる可能性をどんなにしてでも追い求めたことだったろう。

 しかし間もなく、ザルツブルクでやる予定になっていたのが病気のためにキャンセルになったという噂が、彼の病気は相当深刻なものだという噂とともに伝わって来た。そして数年の後には彼の訃報をきいたのだった。

 今調べてみると、どうやらこの私のきいた音楽会は、彼のヨーロッパに於ける殆ど最後の演奏会のひとつだったようである。してみると私はそれをきけた事だけ、神に感謝しなければならないのかも知れない。

 私はそれ以来、この「レクイエム」を聴くチャンスを避けて来てしまった。そして、ワルターのこの「レクイエム」のレコードを探して、レコード店に何度も無駄足を運んだのだった。

 さていま、私の幻のレコードが、しかも私の聴いたそのものの再生がこうして手許に置かれてみると、さっと飛びついてゆくにはひどく抵抗があるのに気がついた。私はジャケットを取り上げ撫でまわし、表のワルターの写真にしみじみ見入り、そして再び机の上に置く。そして再び取り上げる。いやいや、もっと気持ちが落着いた状態で聴かなければと思い再び机の上に戻す。そうやってレコードの上に針をおくまでに、長い時間と勇気を要したのであった。

 しかし、いざ音楽が流れ始めると、その音楽はひしひしとあの時のように、私を取り巻きひきこんでゆく。

 録音は現在の技術によるものほど音の状態は鮮明ではないし、よく聴くとアインザッツ(音楽の入り方)が揃わなかったりする。しかし、そのようなことは何の意味ももちはしない。ウィーン・フィル特有の弦の優しさと、光をもって弾き出されるメロディ。合唱の厚味。その卓抜したテクニック。“Rex tremendae”と叫びだす合唱の激しさ。“Lacrimosa”の心にしみる優しさ。“Domine Jesu”の微妙な動きを持つリズムが醸し出す雰囲気。“Agnus Dei”の見事なまでに昇華した宗教的な安息。ワルターの音楽に対する底知れぬ真摯さが、噴き出し溢れ出してくるようだ。

 私は最近、ワルターがかいた「主題と変奏」(白水社)を読み、その中に浮かび出てくる彼の全くお人よしそのものといった雰囲気に一寸びっくりした。同じ頃に出た、フルトヴェングラーの本「音と言葉」のかもし出す、じっくりねっちりとあくまで構成的に自己を押し出すといった雰囲気と正反対である。ワルターの講演には特に「音楽は善なり」といったような、修身的解釈まで現われ、いささか辟易させられるようだった。にもかかわらずこのニコニコとした好々爺のような人のよさから、どうしてあのデモーニッシュともいえるモーツァルトのレクイエムが生み出されたのだろうか……。恐らく彼はただひたすら音楽家であったに違いない。ワルターの才能と、殆ど少年時代といえる頃からの音楽家としての、音楽への奉仕のつみ重ね、数多くの経験、すばらしい音楽家たちとの交流、それらはまるで毎日とる食事と同じように血になり肉になっていったことだろう。彼の細胞を割ったら音が出て来るに違いないと思われるような「音楽家の生活」を送っていた。その音楽そのもののようだったワルターが、渾身の力をふりしぼって――あるいはこれが最後かも知れぬといった心もあったろう――モーツァルトのレクイエムという巨大な星にぶつかり、そして白熱の焔をもって燃え上がった……それがあのレクイエムになったのではなかっただろうか。

 音楽家は音楽とぶつかった時に素晴らしい焔をあげながら燃焼する。時にそれはひどく昇華されたものとなる。その場に立ち会うことが出来、そして口をきくのも厭になるような感激に打ちのめされる時、私は偉大なる音楽家の「出来ること」にただ頭をさげてしまうのである。

 やはり私はそんなワルターをきくことが出来たことを、神に感謝しなければいけないだろう。しかしもう一度きくことが出来たらなあと思うことしきりである。

CDソニー「SICC94」のブックレットより転載。(1975年発売のLPライナーノートからの再転載分)

ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィルの芸術

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626

ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1956年6月23日 ウィーン・ムジークフェラインザールにおける実況録音

SICC94 (Sony Music Japan International Inc.)

定価1,995円(税込)

〔CD帯より〕

20世紀が生んだ名指揮者ブルーノ・ワルター。1962年に亡くなる直前まで録音を続け、同世代の巨匠としては例外的に多くのステレオ録音を残しているワルターだが、ここで聴けるのはワルターが愛して止まなかったウィーン・フィルとの実演の記録。ワルターは、1956年6月から7月にかけてヨーロッパに出向き、スカラ座管、フランス国立放送局管を振ったあと、ウィーンでモーツァルトを中心としたプログラムによる演奏を行なった。これはその時の実況録音。この後ワルターはザルツブルク音楽祭に出演し、「レクイエム」他を演奏した。そしてこの年、ワルターは現役からの引退を表明することになる。

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(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント カスタマーインフォメーションセンターまで

掲載元:CDソニー「SICC94」のブックレットより転載。(1975年発売のLPライナーノートからの再転載分)(2006/4/4転載許可)

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