室井摩耶子トーク・コンサート 

2005年10月8日 白寿ホール ( Hakuju Hall )

 

音楽誌の演奏評

 

● 壮大なスケール、荘厳な演奏

“壮大なスケール”である。それは、シューベルトの最後のソナタのことを指した室井摩耶子の言葉であるが、室井の演奏も実に大らか。この“絵巻物”のような大曲、変ロ長調D.960に対峙して、円熟のピアニスト、室井はいよいよ雄弁に語りだす。その迫力と、滑らかな歌や音色の多彩な変化は、100人もの奏者を擁する大オーケストラをも想わせる。そう、室井の演奏はピアノを弾くという行為をとっくに超越して、彼女はシューベルトのこの思慮深い音楽の真の具現者となっていた。子守唄のような第2楽章では、昔話を聞いているような温かさや懐かしさを感じた。その再現部中程に現れる、ハ長調の光に溢れた美しい響きは、今も忘れられない。第3楽章スケルツォでは、まばゆい輝きがホールを満たす。終楽章では目の前に広野が広がるよう。時折見せるシューベルトの色気や、意表をつく転調による憂いも、室井は巧みに表現する。

 さて、室井を虜にするもう一人の作曲家はベートーヴェン。ソナタ《月光》について「センチメンタルな軽い音楽ではない。死を想わせる奥深い音楽」と演奏の前に室井が語ったように、どの楽章も骨太の骨格を意識した荘厳な演奏であった。 

「ムジカノーヴァ」2006年1月号  野平多美

 

 

● ソナタの真髄を克明に語る圧巻

楽曲を演奏して聴かせるだけでなく、その作品にまつわる作曲家や曲目について、演奏する前に語り、曲の実像を理解させようという、室井摩耶子が発想した『トーク・コンサート』も今回で17回を数える。

 当日はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」を最初に取り上げる。演奏前に、この曲の愛称はベートーヴェンが名づけたのではなく、これにとらわれると曲の本質を誤認する、という主旨の説明があった。演奏は格調を保ち、単にロマンティックな情緒に浸ることなく曲を進める。とりわけ終楽章での充実感溢れる表現は、このソナタの真髄を克明に語る圧巻。

 次がシューベルトのソナタD.960「遺作」。楽譜に書かれた演奏上の細かい指示を綿密に把握、旋律の美しさを発揮することが大切である、と述べた後に演奏。長大なこのソナタを詩情豊かに、流動感のある変化を顕示、楽章を追うに従い統一性のある盛り上がりをみせる。

「音楽現代」2005年12月号  飯野 尹

 

 

● 濃い内容、深みのある音色。他では絶対聴けないコンサート

 堂々のソナタ2曲! それもベートーヴェン『月光』とシューベルト遺作・変ロ長調。ふたりの作曲家の異なる音楽世界にひたと対峙して、前半後半1曲ずつ、それだけで聴き応えたっぷりの2時間。いずれも、作品との関わりや積年の思いについて温かな語り口のトークがまずあって、しかるのちに一音一音彫りつけるようにして奏される。内容は実に濃い。深みのある音色、聴き手に思いをめぐらす時間を与える悠久のテンポ。とはいえ、もちろん『月光』は楽章を追うごとに確実にテンポを速めていき、フィナーレでは疾走感のある音の饗宴が……。

 シューベルトはピアニストの人間性のすべてが曝け出されてしまう、とてつもない大曲だ。この曲をだれずに、聴き手を牽引しながら弾き通すには技術がいくらあっても駄目なのだ。でも、室井摩耶子先生の内から滲み出る音楽の大きさ、深さはいつしか聴衆全員をあたかも自分が弾いているような擬似体験気分にさせてしまう。弾き手も聴き手も命がけでシューベルトと向き合い、手に汗握り、ついにフィナーレのコーダを終えたとき、ともに大きな達成感を味わった。こんなコンサートは他では絶対に聴けない。84歳、室井摩耶子先生、ありがとうございました!

「ショパン」2005年12月号 萩谷由喜子


 

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