於 2008.8.30浜離宮朝日ホール 室井摩耶子トークコンサート 誌評


音楽現代 11月号

演奏の前に、その曲に関わる多角的視点に立っての見解を語るトーク・コンサートを室井摩耶子が開催。当日はJ・S・バッハの作品を演奏した。

始めのバッハについてのトークは、音楽とは何であるかという、音のもつ本質を語り、バッハの音楽が単なる音の羅列ではなく、そこに音の持つ転調からの味わいを始め、複雑な表情が含まれていて、従って演奏者は、音のキャラクターが表現するものは何かを読み取り、これを通して聴く人たちに音楽のもつ深い感銘を伝えるのである、と親しみのある口調で説明し、続く演奏でその具現をみせる。「平均律ピアノ曲第1巻」から第1、6、5、8番の順で弾き、各曲の特色を音色の変化、構築性を通して素直に表現する。次の「イタリア協奏曲」は豊かな思考的情感を漂わせ、しかも、確とした形式美をそこに表現している。最後の「半音階的幻想曲とフーガ」では端麗な雰囲気が絶妙なタッチから生れてくるのを実感させ、しかも、暖かみのある若々しささえ示す。

(飯野 尹)


ショパン 11月号

音に命を宿らせて

 弾き手にも聴き手にも普遍な音楽の本質に迫って95年から継続中のトークコンサート。今回、室井先生はバッハと向き合った。といっても『音楽の父』とひたと対峙する、などという肩肘張った対決的な姿勢のものでないところがいかにもこの練達のピアニストらしい。そうではなくて、バッハが音という素材にいかに命を吹きこんだか、弾き手はそれをどのように聴き手に伝達するのか、聴き手はそれをいかに受け止めるのか、という作曲家、演奏家、聴衆の三者からなる時代を超えたコラボレーションを意図し、渾身で実現させたところにピアニスト室井摩耶子の真骨頂の光る一期一会のコンサートであった。

 第1部の最初は『平均律ピアノ曲集』第1巻より、第1番ハ長調、第6番ニ短調、第5番ニ長調、第8番変ホ長調の4ペア。打鍵ごとに魂を込め丹念に打ちこまれる音たちからは対位法の動きがまざまざと浮かびあがってくる。そらは鋭角的に切りこまれる分析的な音ではなく、適度なペダリングを伴う柔和な響きと平和な情感に満ちた音だ。しかしながらその音には凛とした力が宿っている。続く『イタリア協奏曲』は力強くさわやかに開始され、第2楽章では印象的なオスティナートの上で美しいアリアが連綿と歌われた。第2部は『半音階的幻想曲とフーガニ短調』。奔放な気分にみちてみずみずしく奏された幻想曲と、フーガ主題とその半音階的進行に最大限の光を当てたフーガからは、バッハのメッセージが確かに伝わってきた。

(萩谷由喜子)


ムジカノーヴァ 11月号

 みずから「生涯現役ピアニスト」を名乗る室井摩耶子も、いまや齢87歳。年齢による衰えは仕方ないにしても、逆に音楽への情熱はますます深まっているように見える。今回のコンサートは「壮大な音の殿堂〜バッハの真髄」として行われた。コンサート冒頭のトークで、氏はバッハのモティーフから読み取れるさまざまな音楽的宇宙の発見の感動であり、同時に演奏を通してもたらされるバッハへの接近の喜びである。

 最初は《平均律クラヴィーア曲集第1巻》から<第1番ハ長調>BWV846、<第6番ニ短調>BWV851、<第5番ニ長調>BWV850、<第8番変ホ短調>BWV853の4曲。いずれもプレリュードでは美しい音の流れを聴かせたし、フーガでは主唱と答唱の絡み、和音の推移、移行部での音の起伏などにベテランらしい風格が。中でも<第8番>の「プレリュード」がひときわ深い情感を漂わせて秀逸。《イタリア協奏曲ヘ長調》BWV971では、この作品の生命力にあふれる躍動感、ソロとトゥッティの生き生きした対比などにツメの甘さも感じられはしたが、全体的には無難な演奏。第2楽章アンダンテでは、息の長い歌が心地よく流れた。最後が、《半音階的幻想曲とフーガ ニ短調》BWV903。即興風な幻想曲部では演奏者の長い演奏キャリアの跡が随所に反映されていく。しかしそれ以上に、氏の「今の心の想いを伝えたい」という一途な気持ちは、今回の演奏会全体を強く支配していたように思う。

(河原 亨)


音楽の友11月号 コンサート・レビュー

 4月の予定が、ピアニストが怪我をされたためにこの日に延期された。副題は「壮大な音の殿堂“バッハの真髄”」。前半のトークでは「バッハの音楽はいろんな感情を表現している」「音のもつ原石のオーラ」と名言の数々を披露。その語り口は軽妙で親しみやすく、時折弾かれる《インヴェンション》の魅力的なこと!

 本編は一変して厳しい表情に。《平均律クラヴィーア曲集》からの4曲では感情表現にメリハリがあり、フーガの主題が強調されている。《イタリア協奏曲』の第1楽章の和音は力強く、タッチはマルカート、愉悦に満ちたリズムが楽しい。「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調」の音色はますます深くなり、和音の性格に合わせて色彩を変化させる。本編は力みがちだが、やはり長年の研鑽と思考に裏打ちされた音や音楽にはずしりとした手応えと重みがある。生涯現役の人は87歳、ますますお元気でご活躍されることを祈る。 

(那須田務)